小樽鮭夫のヤフオク鑑定団
DSK 250AB - 小樽鮭夫
2020/07/12 (Sun) 10:38:54
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q379994529
大東精機のBMWをフルコピーしたものですが、よくここまで模倣できたものだと感心します。
そんなに品質も悪くはなかったという噂です。
本物が買えないから国産化にしたのです。
品質が劣るのは日本に材料がなかったからです。
技術がドイツに劣っていたのは産業レベルが全体的に
ドイツより低かったためです。
戦時中にメルセデスから船のエンジンをライセンス生産したいとサンプルを買い受けました。
分解して精度を調べたくとも図れる工具がなかった
マイクロメーターが必要なところにノギスで計ったようなことでしょうか?
日本とはそんな国だったのです。
コピー品がオリジナルよりも高額になってきています。
珍しいということもあります。
しかし、国が産業の在り方を間違えて指導したからです。戦争などで国力を広げようなどという明治以来の野心を持たなければ、欧米にもみ手をしながらも商売で技術で国力を高めることはできたはずです。
戦後の日本がそうできたのですから。
ドイツ製品と肩を並べられる製品を作りたいと思ったのは大東精機だけではありません。カメラのキャノンの一号機はライカのコピー カンノンです。
そういう日本の産業史の過渡期としてこれを眺めると
また価値が違って感じられると思います。
DSKをデンスケという愛称で呼ぶ人が多いですが、喜劇のデンスケさんを知っているのは60歳以上です。
早く年寄りぶってみたい若い人はデンスケと呼ぶとよいでしょう。
Re: DSK 250AB - mmおやじ
2020/07/13 (Mon) 05:15:50
年寄ぶってみたいわけ訳じゃないけれど、デンスケ 面白かったような記憶がする その後かな? 栃木出身の伝説のスーパースター 東京ぼんた 唐草模様で夢もちぼ~も無い だったかな U字工事 の御先祖様か
Re: DSK 250AB - ショベルボバー
2020/07/13 (Mon) 22:20:34
いつも楽しく拝見しております。
BMWのコピーまでは知っておりましたが、そこまで深入りした知識は知りませんでした。
大変勉強になります。
また同じような解説を期待しております。
ぎりぎり昭和生まれの30代より。
Re: DSK 250AB - 熊三
2020/07/13 (Mon) 23:07:14
DSK.中沖さんの著書では当時の国産250の中では高級車のようですね。
ところで東京ぼん太は中学校の先輩にあたります。高校は作新学院を中退していますが、東京ぼん太として売れた後に卒業証書をいただいたようです。
晩年は酒と賭博で残念な最期でした。
夢もチボーも自ら棄ててはいけません。
Re: DSK 250AB - レッカー太郎
2020/07/15 (Wed) 01:52:55
こんにちは、ボクも楽しみに見させてもらっています。
ちなみにDSKのメーカーは正しくは『大東製機株式会社』です。何故か大東精機で覚えている方が多い気がします~。他のオークションや記事でもちらほら見かけます。
ボクはこのDSK-AB型に乗っているのでつい目に付いてしまいます。
ホンダのCB72やメグロジュニアが18万円位の頃DSK-AB型は25万円していました。大東製機が工場火災でオートバイから手を引いた後、全国のDSKディーラーが資金を出し合って立ち上げた『DSK自動車工業株式会社』の工場は大東製機からわずか数百メートルしか離れてなく下請けの各町工場をそのまま引き継いで作っていたので品質は変わらないと思いますよ。
Re: DSK 250AB - 小樽鮭夫
2020/07/16 (Thu) 11:31:55
大東精機ではなくて製機 なんですね。
たぶんバイク雑誌の誤植が始まりですね。
機織りを作る会社でしたものね、製機 ですね。
まだ、本社に飾ってあるとどこかで読みましたね。
BMWを手本にしたバイクメーカーは沢山ありますね。
日本だけではありません。
シャフトドライブのオートバイを作るには デフのスプラインを切らなくてはなりません。それが難しかったそうです。
いまは、コンピューター制御で精密な削りができますが、昔は職員さんの腕次第のようなことろがあったでしょう。
ヤマハも始めの頃はドイツ製の機械を導入したと雑誌で読みました。
コピーといえども、真似できるものならやってみな
くらいの技術差があったと思います。
陸軍の飛燕のエンジンは稼働率がとっても悪くて
メッサーシュミットの日本版にはなれなかったそうですが、その話を読めばなるほどと思いますね。
空冷エンジンに積み替えたら素晴らしい飛行機になったそうですが。
技術立国もこの頃は怪しくなってきました。
若い人が作りたいという意欲が無くなれば、それも無理のないこと。
昔の人の作りたいという渇望は凄いパワーだったと思います。